次世代スノーボード界をけん引する長谷川帝勝選手。その驚異的な成長の裏には、幼い頃から父親と共に積み上げてきた練習の日々があります。
本記事では、スノーボードとの出会いから、全4方向で1980(5回転半)を成功させるまでの過程を、父との絆・圧倒的な練習量・名前に込められた意味とともに丁寧に紐解きます。
- 長谷川帝勝がスノーボードを始めた原点と父との関係
- 幼少期から積み重ねた異常とも言える練習量
- 世界唯一の偉業「全方向1980成功」が生まれた背景
- 「帝に勝つ」という名前の意味と、自分自身を超え続ける覚悟
長谷長谷川帝勝の父との関係がすごい!
長谷川帝勝選手が世界の頂点に立つまでには、父・俊介さんとの深い信頼関係と、厳しくも温かな二人三脚の歩みがありました。
スノーボードとの出会いも、競技に専念する転機も、すべて父の存在が関わっています。
スノーボードとの出会い
長谷川帝勝選手がスノーボードを始めたのは、わずか3〜4歳の頃。きっかけは、父・俊介さんの趣味で一緒に雪山に行ったことでした。
「お父さんが趣味でスノーボードをやっていて、それにひっついて行ったりとか、連れて行かれたりっていう感じで始めました」
最初は“遊び”としてスノーボードに触れ、自然の中で滑る楽しさを知ったことが、競技人生の最初の一歩となります。
そこから毎週のように雪山に通うようになり、技術と興味の両方が深まっていきました。
小学時代はサッカーとスノーボードの両立
幼少期の長谷川選手は、サッカーとスノーボードの二刀流でした。
小学1年生から5年生まで、サッカーに真剣に取り組んでいた一方で、小学3年生からスノーボードの草大会にも出場。
それぞれの競技に楽しさとやりがいを感じていました。
そして、小学5年の夏に立山KINGSの合宿に参加したことでスノーボードの面白さに目覚め、冬からは本格的に大会を回るようになります。
父のひと言が人生の方向を決めた
そんな中、本格的な転機が訪れたのは2024年、小学5年生の冬。
長谷川選手は、ある日父からこう言われたと語っています。
「どちらかに絞らないと中途半端になるぞ」
この言葉をかけたのが、父・俊介さんでした。この一言をきっかけに、長谷川選手は迷わずスノーボード一本に絞る決断をします。
「小学校終わる前にどっちにしようか選ぶ機会があったらしいんですけど、正直あんまり覚えてなくて。気づいたらスノーボードを選んでました」
と本人は語っていますが、実際には父からの助言が、進路を定める大きな後押しになっていたのです。
父は“コーチ”であり“最大の理解者”
スノーボードは、遠征費用や練習施設利用料などが非常にかかる競技です。
父・俊介さんは、平日(月・火)に雪山へ通う独自の練習スタイルを支えつつ、ビデオ撮影や技術分析、反復練習まで付き合っていたと言われています。
こうした支えがあったからこそ、長谷川選手は同世代のトップライバルたち(荻原大翔、渡部陸斗)に追いつき、追い越す力を身につけることができました。
長谷川帝勝選手にとって父は、単なる保護者ではなく、専属コーチであり、最大の理解者だったのです。
「圧倒的な練習量」が親子の絆を深めた
「練習量だけは負けないように。誰よりも練習して追い越すしかないと思っていました」
この強い覚悟は、父との日々の積み重ねから生まれたものでした。
誰よりも一緒に過ごし、誰よりも厳しく指導してくれた父がいたからこそ、長谷川選手は「世界一練習する男」と呼ばれるまでの努力を継続できたのです。
長谷川帝勝選手の“強さの源”は、才能だけではありません。
父・俊介さんとの深い信頼関係と、二人で積み上げてきた努力の日々こそが、世界の舞台で戦うための最大の武器となっているのです。
幼少期からの練習量と“帝”を超える覚悟
長谷川帝勝選手が「世界唯一」と称されるほどの実力を持つまでに成長できた最大の要因は、幼少期から積み重ねた“圧倒的な練習量”です。
その練習の背景には、父と二人三脚で過ごしてきた日々が色濃く反映されています。
「練習量だけは負けない」が信条
「練習量だけは負けないように。誰よりも練習して追い越すしかないと思っていました」
この言葉は、長谷川帝勝選手の原点そのものです。
月曜・火曜という、一般的なスノーボード選手があまり練習しないタイミングで雪山に通い続けたのは、父の仕事の都合によるものでした。
その環境の中で、周囲のライバルよりも練習時間が少ないことを自覚していた彼は、逆に「質と集中で勝つ」ことに意識を向け、着実に技術を磨いていきました。
全方向1980成功という“世界唯一”の偉業
彼が世界で初めて成し遂げたのが、全4方向で1980(5回転半)を成功させたことです。
- 左足から左回り
- 左足から右回り
- 右足から左回り
- 右足から右回り
この4つすべてのスピン方向で1980を成功させた選手は、長谷川帝勝ただ一人です。
松岡修造さんとのインタビューで、この偉業について触れられた際、松岡さんがこう語りました。
「まさに、“帝勝”ってことですね」
長谷川選手は笑顔でうなずきながら、こう答えました。
「自分に勝ってこそ、また新しい自分が手に入ると思う。」
このやり取りには、彼が持つ「名前の意味を競技で体現している」という誇りがにじみ出ています。
“帝”に勝つとは、過去の自分を超え続けること
「帝王に勝って、自分が帝王になるという意味です。いい名前をもらったと思っています。」
と語る長谷川選手にとって、“帝”とはライバルではなく、過去の自分自身。世界王者となった今もなお、彼の目はその先を見据えています。
2025年のサンモリッツ世界選手権では、2年前の自分を超えるために挑戦。すでに金メダルを獲った自分自身こそ、超えるべき“帝”であると自覚しているのです。
五輪を見据える今
スノーボードは一瞬の集中と技術の勝負。その裏にあるのは、日々積み重ねた地道な練習の数々です。
長谷川選手が「どんな天候でも飛べる」選手であるのは、父と積み重ねた反復練習と、安定感を意識した滑りの基礎があるからこそ。
2026年ミラノ・コルティナ冬季オリンピックでは、父とともに積み重ねてきた歩みが、間違いなく彼の強みとして活きてくるでしょう。
まとめ
長谷川帝勝選手の強さは、才能だけでは語れない“練習と覚悟”の結晶です。
スノーボードとの出会いは幼少期に父と雪山へ通ったことが始まりで、以来、父と二人三脚で誰よりも多くの練習を重ねてきました。
その結果、世界でただ一人全4方向で1980(5回転半)を成功させる偉業を成し遂げ、「帝王に勝って、自分が帝王になる」という名前の意味を体現する存在に。
これから迎える2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪では、父との絆と練習の積み重ねを武器に、“過去の自分=帝”を超える挑戦が始まります。
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